伊賀上野城~郡山城址

伊賀上野城 2026-4-06

Uさんからお花見だよりが届きました

「今日は絶好の花見日和で往復JRの予定でしたが時間が有ったので帰りは伊賀神戸へ行き近鉄に乗り換え帰って来ました。JRと近鉄での一筆書きの旅になり郡山城にも寄り5時半頃帰ってきました。のんびり気ままに楽しい1日でした。」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

伊賀上野城(いがうえのじょう)別名は白鳳城(はくほうじょう)。





豊臣秀吉の家臣・筒井定次が、天正13年(1585年)、東からの脅威に備えて平楽寺があった台地に近世城郭としての伊賀上野城を築いたのが始まり。その後、慶長16年(1611年)、徳川家康が大阪城に対抗するため、築城の名手・藤堂高虎に命じて改修。伊賀上野城の本丸を拡張し、10棟の櫓や、巨大な渡櫓をのせた東西の両大手門、御殿などが建てられ、本丸西面には高さ約30mもの高石垣がそびえた。藤堂氏は 筒井氏の時代に本丸があった筒井古城に城代屋敷を置き、幕末まで伊賀一国を治めた。

                                                                郡山城址 

郡山城は大河ドラマ『豊臣兄弟』でおなじみの弟、豊臣秀長の居城となり、その領国であった大和紀伊和泉の中心であった。江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれた。                                     

奈良は良質な石材が乏しかったため、奈良一帯の各戸に五郎太石 20荷の提供を義務付け、寺院の石地蔵や墓石、仏塔なども徴発され石垣石として使用された。中には、平城京羅城門のものであるといわれる礎石が使われていたり、8世紀ごろの仏教遺跡である「※頭塔(ずとう)」(奈良市)の石仏が郡山城の石垣の中から見つかっている。

                     

元奈良県立図書館
 明治41年、奈良県技師・橋本卯兵衛の設計により建てられたもので、
木造瓦葺二階建てで、昭和45年にここ郡山城址法印曲輪に移築された。

※「頭塔(ずとう)」(奈良市)とは

奈良県奈良市にある土製の塔。1辺32mの正方形を基に、高さ10m、7段の方形段を積み上げた階段ピラミッド状の構造をしている。奈良時代の建造で、東西南北の各面に石仏を配置する。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』





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