没後50年 いわさきちひろの魅力 2024年8月
没後50年 いわさきちひろの魅力 2024年8月
心に留まった新聞記事の切り抜きを収蔵の箱を整理してたら
【平和で豊かで可愛いものがほんとうに好き、希望うち砕く戦争への憤り】
👆の切り抜き記事のタイトルが目に飛び込んできた。
愛らしい子どもの絵で親しまれている画家いわさきちひろ(1918~74年)今年2024年8月8日は没後50年となる命日です。
<青春時代のあの若々しい希望を何もかも打ち砕いてしまう戦争体験があったことが、私の生き方を大きく方向づけているんだと思います。>(72年のインタビュー記事)
ちひろは陸軍築城本部の建築技師・岩崎正勝と文江(女学校教師)の長女。絵を描くことはもちろん、スキーや登山、おしゃれも好きな少女でした。
39年、20歳のちひろは両親に結婚を強いられます。婿養子となった夫は大陸進出の国策会社に勤務。赴任先の旧満州(中国東北部)の大連へ渡りました。どうしても心を通わすことができなかった夫は41年に自殺。ちひろは帰国します。
45年、岩崎家は空襲で東京を焼け出され長野県に疎開。終戦後、46年1月に疎開先の松本市で日本共産党の演説会に参加します。侵略戦争に反対してきた党を知り「何て本当のことをいうのだろう」と感動。数か月後に入党しました。
49年、党活動のなかで7歳半年下の松本善明(後の党衆院議員)と知り合い翌年結婚。日記に「彼がいなくては絵がかけない。絵をかける状態にしてくれる人。それは善明」と記すほどでした。
よくねん、息子の猛が誕生。たっぷりと愛情を注ぎ、絵のモデルにもなりました。
ちひろは晩年、ベトナム戦争を題材にした絵本「戦火のなかの子どもたち」(73年)に力を注ぎます。
<ベトナムの戦禍が報じられるたびに、中野の千代田町でB29に焼かれた二十何年前のあの夜のことをふと思い出してしまうのです><空襲がやんで夜が明けてから、すっかり焼け野原になった我が家のあとにもどってきて、まず近所の人々と、おたがいの無事を涙でたしかめあいました。>(78年『わたしのえほん』)
『戦火のなかの子どもたち』は、美術研究の道に進んだ息子‣猛との最初で最後の共同制作の絵本となりました。
「この絵本をはじめて見たとき、描かれた子どもたちが、まさにあの時の自分だ、姉だ、と思わずにはいられませんでした。」と回想。映画「火垂るの墓」の参考にしたとのべています。(「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」展図録)
<平和で、豊かで、美しく、可愛いものがほんとうに好きで、そういうものをこわしていこうとする力に限りない憤りを感じます。>ちひろの絵と言葉を、改めてかみしめたくなる時代になっています。
しんぶん赤旗日曜版 大塚武治、金子徹記者
わんちゃんとこの本棚に
夏向きの5つのおはなしが収められた短編絵本集。いわさきちひろさんの絵、立原えりかさんの文章
小学校1年生の初めての夏休みを描いた表題作。
主人公は小学校低学年くらいの子どもなのですが、幻想的な情景描写が理解できるのは、
もう少し上の年齢かもしれません (ベストレビュー一部抜粋)
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