(天声人語)6年竹組の禎ちゃん

お見舞いどうもありがとう。私の一番好きなものは音楽よ、それからお花は、バラの花、スターで好きなのは美空ひばりちゃん――。病床の少女は、文通友達へのお礼の文案を薬の包み紙などに書き留めていた広島市立幟町(のぼりちょう)小、6年竹組62人のひとりだった。足が速く、勝てない男子が悔し紛れにつけたあだ名は「サル」。運動会のリレーでは女子のアンカーになり、クラスを優勝に導いた。そんな彼女の首にしこりが見つかったのは、中学入学を控えた冬だった薬を包むセロハンなどで鶴を折って、快復を祈った。〈私が退院する時はお知らせします〉。お礼に込めた願いはかなわず、8カ月の闘病後に亡くなった。白血病。2歳で被爆して10年後の秋だった「体調が悪くなると、だんだんと鶴も小さくなって。それでも禎ちゃんは、つまようじの先で角をきれいに整えて」。折り鶴の少女――佐々木禎子(さだこ)さんの生前の姿を教えてくれたのは、同級生の川野登美子さん(84)だ禎ちゃんのために何か残したい。6年竹組の級友たちは、会議で広島に集まっていた全国の中学校長に寄付を募るビラを配った。3年後の1958年、平和公園に「原爆の子の像」ができたきっかけだ。川野さんはいま、中学時代をまるまる像の建立に捧げた体験を小中学生に話す。「みんな、きちんと受け止めてくれます」きょうは原爆の日。被爆体験をどう未来につなぐのか。禎ちゃんの死を無駄にしないと、自ら動いた6年竹組に学びたい広島。                                                                        朝日新聞2026年8月6日朝刊


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