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2025年12月12日金曜日

わんちゃんのガン最前線体験レポート~⑳:術後検診

2011-12-9

4か月ぶりの術後検診でした。
2008年10月でした、肺がん摘出手術。
術後検診、最初は退院して1週間毎、しばらくして2週間毎、そして4週間毎、6週間毎となって2年後からは4か月毎となりました。
1.1㎝(腫瘍の大きさ)だったんですね」執刀されたA先生はこの春に転勤されました。
替わってわんちゃんの主治医はI先生です
「この大きさからするとまず再発は心配ないでしょう、こっちが今日撮ったレントゲンの写真です、こっちは前回のです、べつに異常はないですね、他に転移とかは大丈夫だと思いますが、全然関係のないところから出来ることもあり得ますから、別におどかしてるワケじゃないですよ、ずっと、観察していきましょう、次回はCTも撮っておきましょう、採血は毎回で今日の採血は腫瘍マーカーの検査も入れておきますので採血して帰っていただきましょう、次回は4か月後に来て下さい4月になりますね何日ごろが良いですか?」
ささっと来年のカレンダーをめくって「ハイ、4月です、1週目が良いですか?2週目?」と、看護師さん。
「1週目を希望します」
「時間は?何時頃が良いですか?」
「10時が良いです」
「ハイ予約欄に入れておきます」
「4月1週目あたりは病棟の西側にある大きな桜の樹がちょうど満開かな?と思うんです、写真を撮りたいなって思いましてね」
「ほぉ~~あの桜の樹はたしかに立派ですな、写真をですか撮られるのですか?」
「ハイ、あの桜の樹の下に入ると元気百倍になるような気がしますんで・・・」
「ちょっと前まではあの桜の木の下でお花見をしたモンでしたよ」
「はぁ そうだったんですか?」
「じゃ、次回は桜の頃ですね、お風邪など気をつけて下さいよ」
「ハイ、ありがとうございました」

2025年12月10日水曜日

わんちゃんのガン最前線体験レポート~:⑲ 術後のリハビリ

2008年の秋のこと

「肺がんの疑いがあります・・・ので精密検査をお奨めします」
「えっ?ウソですよね?この年まで喫煙経験ゼロなんですよ、変な咳もないです、痰が絡んだりもしてません」

ある日友人から次のようなメールが届きました。
「今は歳をとれば多くの人がガンにかかっている時代、そんなに心配する事はないですからね。それよりも心配しすぎる事の方が体に良くないですから。日々体の中ではたくさんのがん細胞が作られ、そのほとんどが免疫の力で消されています。とにかく普段から体の免疫力を高めておくことが大切ですが、そのためには笑うこと。最近の研究では、笑うことが免疫活性を高め、クヨクヨは免疫活性を低下させることがはっきり出ています。いつもの調子で明るく元気でいきましょう!!」

でもぉ~~、やっぱりね、大きな病気一つもしたことなかったわんちゃんです。
いきなり肺がんのような怪しい影がチラチラ見える・・・と言われれば動揺せずにはおられません・・・
そんな時、
「クヨクヨは大敵、いつもの調子で明るく元気に!!」
うれしかったですね・・・
そうは言いましてもね、肺がんの手術前、気持ちがド~ンと落ち込んでいた時がありました。
早期発見早期治療でダイジョウブ!と頭で思っていても、やっぱり癌ですキモチは揺らぎます。
癌が手術で摘出できたとしても、もし抗がん剤治療があったりしたら・・・とか、心配ごとは山ほどあります。
退院してウチに帰ってきたときに、
「横になってばっかりはダメですよ、座ること、軽い体操を日常の中に頻繁に取り入れてみては?」
とのアドバイスをいただいて、コロとの散歩と軽い体操をセットにしてとか、散歩道の階段を利用して、とか・・・

ちょっとせっかちになって途中で肺炎になり入院したこともあったりしましたが・・・・・
頑張った結果として200952日に金剛山の頂上に立つことが出来ました。

 
 


2025年12月8日月曜日

わんちゃんのガン最前線体験レポート~ ⑱:術後検診

2011-04-13 

長いこと、待ってもらったね、お待ちどうさん。
これで、一応僕からの治療も終わりなんやけど・・・(わんちゃんの今までの主治医が転勤されるということで)
何年になるかなぁ?え~っと、2年半か?(肺がん摘出手術は0810月だったんで)
うん、大丈夫なんやけどね(腫瘍は)1.1㎝やしぃ、けど、3年間はやっぱりなぁ診とかんと。
今、2か月にいっぺんか?それ過ぎたら3か月にいっぺんでも良いねんけどな、
あっ!ちょっと血圧測ったって・・・
看護師さんすばやく血圧計をセッティング
「000、うん、ええとこやね・・・次ね2か月後600日やね、この日でも良いかな?あっ、ちょっと酸素濃度を測っとこか、右手人差し指を挟むから・・・」
洗濯バサミのように人差し指を挟む
「まぁボチボチやねぇ意外と、もうちょっと高いと思ったけど、ちょっと低いなぁ」
「この数値は高い方が良いのですか?」
「そら、高い方がいい、ま、肺とってる(右肺三分の一)から97(数値)で60ン歳なら、これくらいかな、この後、血ぃ採って帰ってな、6月に結果言えるし、それで、その日の予約時間は何時にしとこ?9時か?9時半がええかな?処方箋と予約票を渡しとくわ」
と、手術の執刀医とのこの病院における最後の術後検診は終わりました。
とても思いやりの深いDrです。
このblogのカテゴリーわんちゃんのガン最前線体験レポートで主治医の人と、なりが分かっていただけると思います。

主治医との面談が終わってから、病院の敷地内のあの桜に会いに行ってきました。









 


2025年12月6日土曜日

わんちゃんのガン最前線体験レポート~⑰:術後検診

2010-10-20 

200810月に肺ガン摘出手術をしました。
以後、肺レントゲン、血液検査などしていただいて定期的に主治医と面談・・・

「これは前回のんで、こっちは今回のレントゲン、べつにどうも無いねんけど、やっぱりね、心臓が大きく見えるねんけどなぁ・・・どうもない言われた(循環器の先生)けど、どうもなくてええんやけど・・・」
「まぁ時々循環器の方ででも診てもらおうかな?って思ってます」
「そうか、この前は胃の検診したんやったかな?胃カメラは別に?」
「はい、正常・・・」
「セイケンは?して無いの?かじったりとかは検査してないの?」
「えっ?別に何も、胃カメラだけでした」
「そうか、正常やし、もうよろしいということやったんやね?」
「ハイ、一年にいっぺんは胃の方、検診にっておっしゃいました。」
「そうか、それでいいんやね、ほんなら血圧、計ろう」(看護師さんがすばやく血圧計を・・・)

血圧計りながら、
「それで、手術して2年か?」
「ハイ2年です、10月やったから丸2年です」
「モンダイ無いな、前回の血液検査のデータあげとくわ、全部正常やけどね、白血球が少ないね、ちょっと少ないな、もともと少ないんやね、正常値が3500やから別にいいねんけど、もともと少ないからしょうが無いね、肝機能とかも全部正常ですわ、炎症も無いし、腫瘍マーカー
も上がってへんし、このデータあげますわ」
「ハイありがとうございます。」
「もう手術して2年過ぎたし、術後の検診も3か月に一回にしよか?2か月が良いか?今、何か仕事、してはんの?」
「いいえ、今年の3月で退職しました。」
「ほんなら、ま、いいか、2か月に一回ぐらいなら、これな、2か月に一回でも3か月に一回でも、別に一緒みたいなもんやし・・・・・・3年経ったらまた、考えますわ、半年に一回とか、5年経って一年に一回とか、それでね、変な話やけど、最近は肺の手術した人でもね結構長生きしてる人が増えてきて、この前、まぁ言うたら論文も出てたんやけど、やっぱりね、二回目の手術って、結構あるよ」
「えっえぇ~~」
「と、言うのはね、関係なしにね、だから、手術した人は年に一回ぐらいは診とかんと、再発ちゃうよ、また、違う新たに出てくることがやっぱりあるから、まぁ、一回手術した人はね、定期的に観察しといた方がええっちゅうことがだんだんと解ってきたんですわ・・・」
「はぁ~~そうですかぁ・・・・・」
「うん、まぁ、言い方悪いけど、ちょっとでき易い、何にも無い人(癌の手術をしていない人)よりは、体質にもよるんやろうけど、普通の人(手術してない人)の2倍とか3倍とかいうようなことやないねんけど、やっぱりでき易いということはあるやろなぁ・・・ということやねんわ、手術して助かった人も10年経ったときまた、出てくることもある、それは手術をしたとかしないとか関係なしに、5年から10年の間に、ただ単に、胃がんとかに出てくることがあるかもしれない、だから年にいっぺんは検査をしといたほうがええと思う、将来の話やけどね。。。。」
(内心、シュン・・・・・)

「ほんなら次は2か月後やな、レントゲンはもう、2年過ぎたんやし毎回はいいかな、採血と交互にやっていこう、次は採血するは、診察後にな」
「ハイ 朝ごはん抜きですよね」
「そうしてくれるか?ほんならご苦労さん、インフルエンザの予防接種はしといたほうがええで、お大事に」
「ありがとうございました。」

 👇こんなこと言うてくれはった友人が
「はっきり言ってくれる先生のほうが安心できますね。もし癌になったらなった時のこと、癌になったらどうしようと心配することが免疫力を弱めます。元気なうちは元気に明るくいきましょう!」
「はぁ~い」



2025年12月3日水曜日

わんちゃんのガン最前線体験レポート ⑮:主治医との面談

2009-12-06 

突然、肺がんを告知されて、早期発見早期治療を地でいくように肺がん摘出手術をしたのは去年の秋でした。

術後、1週間ごとの主治医との面談、それが2週間ごと、4週間ごと、8週間ごととなった今年の8月のこと
「次回の診察は1周年になるなぁ、記念にPET検査してもらおうかな?」
その結果をふまえて、1週間後に主治医との面談
PETはきれいなもんやったわ、そやけど、CT撮りの結果でこのポチッが気になるねんけどなぁ」
「乳がんですやろか?」
「がんやったら、こんなにおとなしいこと無いし、ドンドン大きくなってるはずや、大きさは去年の手術前から変化無いしぃ」
「え~~っ、手術前からあったんですか?それなら一緒に切ってくれはったら良かったモンを」
「ムリムリ2ヶ所いっぺんは、PETには出てないしぃ、しばらく要観察やなぁ」
となりました。

「心配ごと一つ抱えていくんですね?」
「そやから、この術後の経過なら年に一度のPET検査でええねんけど、半年後にもやってもらおかな、と、思ってるねん、それで、経過をみることにしよう、まぁ、心配無いと思うよ~~ところで、PET検査やけどなぁ健康保険は3割やったかな?0万円かかって大変やけど・・・」
「お気遣いありがとうございます、自分のことやし、ダイジョウブです」

8週間ごとに診察がありまして、隔回に血液検査があります。
「8月の血液検査の結果を前回(10月)、聞くのを忘れてました」
「え~~と、そやったかな?うん、何も異常なしやな、心配する項目は無いわ、今日もこの後、血ぃ、採って帰ってや」

「次は8週間後で、え~~と、1月0日やな、予約時間は何時がええ?その日はレントゲン撮るわな・・・ハイ御苦労さん、お大事に」
「あ、そやそや、インフルエンザの予防注射は?」
「ハイ、しました」
「そうか、そうか」

「風邪は引かないように、気をつけてね」と看護師さん。

気ぃも晴れ晴れ・・・・と言うわけにもいきませんが
良かったのかな?
ポチッも大きくなってないようやし、ずっと経過を見続けてもらえるということやし・・・・・
大丈夫でしょう。

 

 


2025年12月2日火曜日

わんちゃんのガン最前線体験レポート⑭:後遺症?

2009-07-05 

今年の春のカラオケの発表会でのことでした。

この会は先生を中心にみんなでつくる会がモットーです。
照明、音響、司会とかはプロにお任せですが、進行係、受付係、撮影係などはスタッフで役割分担です。

私はその日スタッフの一員としてバタバタしてて(私だけじゃないですけど)シンドかった・・・・いつもの発表会ではこんなことは無いのです

先生が何度か「疲れはった?ごめんなさいね、無理なさらないでね」と、私の態度に出てたんですねぇ、声をかけて下さった・・・・

その日ずっと、胸が痛く気分不快、
えっ?胸がこんなに痛いのは?ひょっとして術後の後遺症?
そんなんこんなん思いはバラバラ、どうしよう、どうなるん?
明日、必ず病院へ行こう・・・そんなこと思ってました

ウチに帰ってブラジャーはずすと、スッキリ
胸の痛みはブラのせい?そんなにきつくは締めてないのに・・・・
手術の時のドレンの管を抜いた穴の傷跡が丁度、ブラの下線にあたるんです。
少々違和感があるので、手術以後ずっと、ノーブラでした。

ま、その日はちょっとおしゃれな装いで・・と、いうことでブラをしたら、ホンマにシンドかったです
肺がどうにかなったんちゃうか?と思うくらい痛かったんです。

初めてブラをしてから、もう何年になるかな?
半世紀は越えたかも?それこそ、肌身離さず(表現、不適切?)でした。
ブラをしないと、こんなにもキラクなんやと、初めて思いましたよ、
これからは気楽にノーブラ人生です
って、なんのこっちゃと、お笑いにならないでね。

ついでのことに、子どものころは、結構、ムチムチしてました。
中学の時の保健の先生に「もう、ブラジャーしなさい」と言われて「ハイ」でした。

いつ頃からやせ始めたのか経緯をたどると(ついでだから)
十代後半の秋、夏やせして以来、毎年、少しづつ夏やせして、戻らなくなり、10㌔ほどやせてしまいました。

長男がお腹の中に居る時、一番肥っていた14,5,6歳のころの体重と同じでした。

今また、去年の手術で5㌔やせてしまいました。
ダイエットしなアカン人には「嫌味やなぁ・・・」と言われそう。
この年になると、もうちょっとプックリでも良いのんでは?・・・・・
と思う今日この頃です。

こんなことブツブツ言うてたら
やせている方が体が軽くてずっといいですよ。
体をしっかり動かして健康なスリムを目指しましょう。
と・・・・・

【おまけ】
最近、薄物のTシャツを着たら乳首がプクッと目立ちます
「あらあら大変」とあわててセロテープでごまかし・・・
お風呂に入る前にはがすときこれが、結構痛い・・・・

見つけましたね、
シリコン・ニップルカバー2個入り
ブラジャーつけずに貼るだけ~~窮屈(きゅうくつ)感解消!!!
胸元や背中の開いた服に!!アウターにひびきにくい肌色タイプ
家でのリラックス時、ちょっとした外出に便利!!

直径6㌢
使用時バストトップにペチャッと貼る
使用後そっとはがしてきれいに洗浄(手洗い)自然乾燥

我が(ノーブラ)人生に悔い無し、気分爽快・・・・

 


2025年12月1日月曜日

戦争を詠む 朝日新聞朝刊朝日歌壇より(毎週日曜日掲載)

朝日歌壇(毎週日曜日朝刊)の入選歌(選者は、佐佐木幸綱さん、高野公彦さん、永田和宏さん、川野里子さん、)より、戦争を詠んだ歌を、わんちゃんが独断で選り抜きを。

☆⇒共選作

2025年 11月 11/2 11/9 11/16 11/23 11/30

 

永田和宏選

生きたかった兵士の数が「戦果」という酷き言葉に置き換えられる(観音寺市)篠原 俊則

空襲の下でかぼちゃを植ゑてゐる徳川夢声の敗戦日記(蓮田市)石橋 将男

 

佐佐木幸綱選

戦車かと見紛(みまが)うようなコンバイン二反ばかりをとっとと済ます(竹田市)伊藤信一郎

 

高野公彦選

復員の父待つ幼の心情を歌ったと知る「里の秋」三番(神戸市)今井  修

【評】確かに三番の歌詞は、椰子(やし)の島から復員してくる父を待つ、という内容だ。

顔も名前も個別性もない兵たち。

武器にさへコスパ、タイパは重視されいよよ命は軽視されゆく(名古屋市)浅井 克宏

改憲し教育勅語、徴兵制、治安維持法そして戦争(朝霞市)岩部 博道

【評】改憲したらまた暗黒の歴史を繰り返すのでは?という危惧を詠む。

ゼレンスキーの米国援助への感謝知り吾が税金に誇り覚える(アメリカ)大竹  博

武器といはず防衛装備品といふ「転進」とかつていひしこの国(西条市)村上 敏之

【評】政治家や軍人たちが言語操作で事実を誤魔化(ごまか)そうとすることへの批判。

 

川野里子選

 戦争の後遺症はありました。主治医の前で気を付けした父(尼崎市)小石 絹子

【評】医者に症状を語るかのような口語が利いている。

 征くときも帰さるるときも死ぬときも百人単位の北の兵士ら(大和郡山市)四方  護

【評】顔も名前も個別性もない兵たち。

ガザのロバあんなに大きな耳澄ませ聞いているんだ夜の虫の声(大和郡山市)四方  護

【評】砲撃の間の静寂。命が命を敏感に聴きとめる。

いくたびも「火垂るの墓」に咽(むせ)びしよ反抗期の息子も亡き娘(こ)も吾も(市川市)山崎 蓉子

【評】バラバラになりそうな家族が心を重ねた時間があった。

焼夷(しょうい)弾降り道燃えき「父ちゃん手つないで行こうか」父は答えず(川崎市)箕輪京四郎

【評】一緒か別々か、どちらが生き残れるのかを一瞬考えた父か。

無人機は何度も襲いくるという 枯蓮(かれはす)の池に風が吹き込む(生駒市)高橋 裕樹

【評】蓮田を吹く風に戦地の無人機の風が重なる。

 

『番外編』赤旗日曜版 下村すみよ選

日本人ノーベル賞の記事の横ガザの戦闘二年の見出し(宮崎県)黒木 直行

 

【寄り道】

里の秋

童謡・唱歌 作詞;斉藤信夫  作曲:海沼実

しずかなしずかな 里の秋

おせどに木の実の落ちる夜は

ああ かあさんと ただ二人

栗の実にてます いろりばた

 

あかるいあかるい星の空

なきなきよがもの渡る夜は

ああ父さんのあの笑顔

栗の実たべては思い出す

 

さよならさよなら 椰子の島

お舟にゆられて かえられる

ああ父さんよ ご無事でと

今夜もかあさんと祈ります