(天声人語)被爆者3564人の声
長崎を訪ねた。射るような日差しをあびて、「非戦」の碑が立つ長崎新聞の社屋を訪ねた。受付で用件を告げると、6階の編集局の一室へと案内された。段ボール箱が三つ、机上に置かれている。噴き出た汗をぬぐってから、その一つを開けた▼米軍の原爆投下から80年となる今年、長崎新聞、中国新聞と本紙は、合同で被爆者アンケートを行った。3564人の声が集まった。長崎に行ったのは、その回答の一部を、実際に手にとって読みたいと思ったからだった▼〈戦争に正義はありません〉。回答欄には平和を願う言葉が幾つも並ぶ。〈核兵器と人間は共存できない〉〈次の被爆地をつくらない〉。ひと文字ひと文字を指と目で大事に追った▼被爆者の平均年齢は86歳を超える。自分で記入するのが難しい人もいるが、それでも何とか思いを伝えようとしてくれている。脳梗塞(こうそく)を患った91歳の女性は記す。〈ようやく左手でこれだけ書けるようになりました〉〈乱筆お許し下さい〉。不自由な手でペンを握る姿を想像する。目頭が、熱くなった▼差別におびえ〈いまだに被爆者である事は言えません〉と書く人がいる。健康への不安を、感じ続けている人もいる。自らも被爆2世である山田貴己(よしき)・編集局長は言う。「80年たっても、恐れを引きずっている。何と長く影響を与える兵器なのか」▼気づくと、長居をしていた。礼を言い、外に出る。「非戦」の字が、来たときよりも大きく見えた。海からの風が、静かに、吹いていた。
わんちゃん推し さだまさしさんの言葉
8月9日 長崎原爆の日
さだまさしさんはこう考えた
長崎人として伝え続ける責任
長崎の原爆の日を迎え、お伝えしたいことは「午前11時2分に、あの原子爆弾が炸裂したことを記憶してください。何が起きたかを想像してください」想像するにはヒントが必要でしょうから、広島、長崎の原爆資料館にいらっしゃるといいです。
ただ、戦争の痛みの記憶が遠ざかっているということも若い投稿者の文章からは感じられます。原爆投下時刻のサイレンに無関心の人がいた、とのことですが、僕は長崎でも「サイレンがうるさい」との苦情が出たという話を聞いたことがあります。残念ながら。
「夏 長崎から さだまさし」は故郷の長崎県(稲佐山)で1987年に始め、2006年まで行なった無料の野外コンサート。長崎原爆の日の3日前にあたる広島原爆の日の8月6日に、「長崎から広島に向かって平和について歌う」
わんちゃんは2005年に行って来たヨ。
こぶしを挙げて声高に「戦争反対!!」っと叫ぶんじゃなくって、歌詞にとか小説にとかの中で「平和について」静かに気づかされるところが、さださんらしいと思うわん ちゃんです。